..

審美眼のない技術者が、お客様を綺麗にできる訳がありません。流行や文化を掴む事は大事ですが、テレビや雑誌を追い掛けているだけでは、本質を見失ってしまいます。

「多くを見聞し本物を探そう」 ここは感受性の旅を綴ったコラムです。     ( 構成・文  永野 洋 )


■ 松井 冬子 Fuyuko Matsui

日本画である。それも心を蝕まれるような幽霊画。

東京藝術大学史上初の日本画専攻での女性博士号取得者。本人は目を疑う程の美人。その様々なギャップに違和感を感ぜずにはいられませんでした。

しかしつい先日発売された画集を見る限り、そんな些細な違和感等は吹き飛んでしまいます。日本画というのはこの国独特の文化です。現在の主流、油彩は明治以降に日本に入って来たものです。では日本画とは? 定義は色々、流派も様々.....しかしもし現在の日本画が見たいなら、彼女の画を見るべきだ。

世界は悩ましく回っている。

松井 冬子 Fuyuko Matsui   女性

1974年1月20日 - )は、日本画家。

静岡県森町出身。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻日本画研究領域修了。


■ Zdzislaw Beksinski ズジスワフ・ベクシンスキー

ポーランド孤高の画家 べクシンスキー。随分前に画集を手に入れたものの、H.R ギーガー(エイリアンをデザインした幻想画家)と混同し、あまり手に取る事はありませんでした。数年前、尊敬する女友達が「最近心酔している」と話してくれたのを切っ掛けに、改めて埃をはらい見直してみる事となりました。

まるで夢魔のような絵です。死、腐敗、損壊。言い知れぬ孤独と恐怖に魂だけが虚ろに漂っている。ここまで廃退や終焉を感じさせる画家も存在しない。そしてその悲しさは近寄りがたい美しささえ感じさせます。この手の美術を受け付けない方は、絶対に見ない方が良いでしょう。事実、彼の絵の中には「3回見ると死ぬ」とまで言われる作品が存在します。ここで紹介しようかと思いましたが、責任持てませんので、興味のある方はお捜し下さい。

そして彼の人生も、絵により一層の悲愴感を覆い被せる事となります。

ポーランド南東サノク出身。少年時代にナチスのポーランド侵攻を経験。画家としては早くから成功するものの、母国で隠者のように暮らす。1998年、妻を亡くす。1999年、音楽評論家の息子が鬱病により自殺。第一発見者はべクシンスキー本人。2005年、自宅にて2人の若者に17箇所を刺され殺害される。強盗目的であるという見方が強く、うち一人はベクシンスキーの親族、または長年の友人の息子であると報道される。享年75歳。

この世のものとは思えない絵を描く孤高の画家は、最後まで自分が幻想画家であることを否定し続けた。

彼の目に写っていたのは幻想では無かったのかも知れません。

ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski、男性

1929年2月24日 - 2005年2月22日 ポーランドの画家、写真家、芸術家。


■ 小茂田 青樹

縁あって青樹の作品を見る機会に恵まれました。美術館ではなく、個人蔵の掛け軸でした。

「氷下鯉魚 two carp under the ice」1927年の作品です。

題名通り氷の下を泳ぐ二匹の鯉を雪と共に描いた掛け軸に、私はしばらく目を奪われてしまいました。

氷上の痺れる様な寒気と水中の命の温もりまで描いたこの日本画は、一瞬にして私を取り巻く時間を止め、人気の無い池のほとりへ。そして鯉の紋様は荒涼とした水辺に浮き上がり、まるで一輪挿しの花の様な燐とした美しさでした。

興奮しつつ帰った私は、すぐに彼の画集を探し「虫魚画巻」という晩年の一連作品と出会いました。それは日常によくある虫や魚や鳥や草花の一場面を切り取った作品でした。

窓にとまる蛾、アザミの花の間に巣を張る女郎蜘蛛、桜の下を歩く猫。

それはどこかエロティックで、感覚の力に溢れた画ばかりでした。青樹の描く鰻や鯉は、そのヌメリまで描かれている。そしてなぜか全てが淫靡なのです。

彼は日本画の円熟した技法と、大正期に盛んに試みられた西洋の写実的な描法を巧みに融合して、あの時代の一つの解答をだしていると思います。

学生の頃、画を描く時いつも感じる不安がありました。それは「自分はこの画を最後まで描けるだろうか」「いつになったら完成が見えてくるのか」画の描き始めはいつもそうでした。その不安を掃うには黙々と筆を進めるしかないのです。

だが青樹の画には迷いはない。少なくても私には一切感じられない。

■小茂田 青樹略歴
1891年埼玉川越に生まれた青樹は。5歳で小茂田家の養子となり、16歳で上京。松本楓湖の弟子となり、速水御舟らとともに、1920〜30年代の再興院展を代表する画家になる。
晩年彼はこう語った「私の場合画の主材は緊密に身辺にあって、それを幾度も見、幾度も写生して心と一種の連関した「友情」にあることが必要である」「形は眼だけで写せるものではない」

■  1931「虫魚画巻」 東京国立近代美術館
■  1930「春の夜」 埼玉県近代美術館
■  1930「鳴鶏」 埼玉近代美術館
■  1930「蝉」 足立近代美術館
■  1919「麦踏」 埼玉近代美術館  etc...

This site designed by Lenox - Copyright(C)2007 ART-TRIP,Inc All Rights Reserved